【第一回・感想】注文の多い料理店/宮沢賢治|序と心象スケッチ の続きです。今回は、山猫の正体、物語に出てくるメタファー、「食べる」「喰べる」「たべる」の字について、自分なりに読み解いてみました。
山猫の正体
日本では大昔から化け猫の話があるくらいですから、猫には情念や霊力が強いイメージを持っている。それでもののけを猫キャラにしたんでしょうね。
ただし『注文の多い料理店』では、人間の暮らしに溶け込み共生する飼い猫ではなく、自然界の生態系に溶け込んでいる山猫のもののけ。化け山猫ですね。
人間社会と住み分けして山野で生きていたのに、娯楽のために傷つけられ、殺されてきた山野の動物達が、知って欲しかった心身の痛み、恐怖、憤り、悲しみ、無念さといった想いの化身であり、代弁者であり、断罪者のメタファーでしょう。
そして、その想いを知って欲しかった相手とは、娯楽目的で殺生しに来るなんちゃって猟師達。
ゆえに化け山猫のターゲットは、犬ではなく、地元猟師でもなく、主人公の二人だけ。
化け山猫の幻術
主人公の二人が、山猫が創り出した幻想世界に足を踏み入れたところから物語が始まっていると思う。
おそらく案内役の猟師は、山猫の幻術でまごついてしまい、主人公達とはぐれてしまったのだと思う。
また、犬達が死んだのは、山猫による幻想であり、本当は犬達は生きていたが、幻想世界には入れなかったのだろう。
あと、化け山猫は、消える前にゴロゴロ喉を鳴らしているので、化け山猫の真意を犬達に伝えて和解して去っていったんじゃないでしょうか?
化け山猫の計画
化け山猫は、最初から人間を食べる気なんて無くて、食べる気満々なフリして脅しただけだと思う。
牛乳クリームたっぷり塗った贅沢な西洋料理を注文する自分を棚上げして、普段から西洋料理食ってる感じの人間にお仕置きするとかおかしいでしょ?
多分、二人を化かすことで、娯楽のために命を奪われた者達の想いを知って欲しかっただけなんでしょう。
ところでどんな料理のつもりだったんだろう?
使う部位は頭部と手足、牛乳クリーム塗りたくり、酢を振りかけ、塩で揉む、サラダと合わせる、フライに変更可。
牛乳クリームって、サワークリームかヨーグルトか生クリームのことかな?
料理の候補は、このくらいしか思いつかなかった💧
- 人間のマリネ・サワークリーム添え。
- 人間のサラダ・ビネガーヨーグルトのディップ添え。
- 人間のビネガークリームソース添え。
意味深なキーワード
『注文の多い料理店』は学校教材になっているので、日本人なら大抵の方は読んだことがあるでしょう。物語では意味深なキーワードがいっぱい出てきたのを覚えていますか?
その散りばめられたキーワードを順番に読み解いていこうと思う。
なお仏教にも色の意味があるので、仏教風味をちょっとばかり盛り込んで解釈してみた。
まず二人が腹が減った頃を見計らって西洋料理店が現れている。
山猫は二人の心を読んで化かしていたわけですね。釣りってやつ。
では読み解いていきます。
玄関が立派な西洋風建物と金色
建物は二人が入りたいと望んだ料理店の外観であると同時に、西洋カブレで表面だけ立派で、若くて太った二人の人物像とリンクしている。
金色は、権威と財の象徴。若さは、未熟な精神。
太った方とは、余分な贅肉がついた方。浅ましい情報や思考、贅沢によって心の贅肉が付いている人って意味かな。
つまり浅ましい君達がターゲットだよ、って示唆しているんでしょう。
白い煉瓦とガラスの扉
白は穢れ無き色。ガラスは透明、見通しが良い。
透き通った心の目で、正しく見通して見極めていますよ、って意味でしょう。
水色の扉と黄色い文字
青は心理や精神の象徴。水色とは浅い青。
思考や精神に影響を及ぼし、不平等な意識を植え付けていた浅はかなものを見極めますよ、って意味でしょう。
鏡と赤い文字
鏡は己を映し出す。赤は生命の象徴。
自己省察して、生命は平等であると知れ、ってことでしょう。
それで二人に汚れた過去の象徴である靴の泥を払わせ、浅はかな情報をキャッチしてきたアンテナの象徴である乱れた髪を整えさせたんでしょう。
黒い台、黒い扉、黒い金庫
黒は無知からの解放や内なる真実の象徴。
無知ゆえに現世で手に入れた浅はかなものを脱ぎ捨てよ、ですな。
それで支配力の象徴である武器、財力の象徴である財布、地位の象徴である帽子、権威の象徴であるコート、贅沢の象徴の貴金属など全て外させたんでしょう。
味付けと食べるアピール
浅ましい情報を払拭して卑しいオプションを外したら、実は人間だって山野の動物達と同じ生き物なんだと分かるでしょ?食べられる側の気持ちも分かるでしょ?と伝えたいんでしょう。
鍵穴と青い目
鍵の向こう側は隠された世界。そこを覗ける鍵穴。青は心理や精神の象徴。
公平で清らかなるこの眼で、隠された心の奥底まで見通すぞ。この眼は、その心を鏡のように映し出すぞ。お前達の感じている恐怖もな。でしょう。
もとに戻らない顔
顔は、体裁や上っ面の象徴。
顔がクチャクチャになったまま元に戻らなくなったのは、悪因悪果・因果応報ですよ、という教訓のつもりでしょう。
団子
主人公の二人は猟師に貰った団子🍡を食べるわけだが…、これどう思います?
山で食べものを調達するノウハウがある猟師は、自分用なら米と塩だけでも十分だったはず。 つまり二人が腹ペコだろうと心配して、わざわざ団子を持って探しに来てくれたのだと思う。優しいな。
でもこのシュチュエーションなら、焼き芋か餅かオニギリの方が自然だと思いませんか?
しかし敢えての団子。お茶🍵のお供やん。
「西洋料理?日本男児なら団子一択やろ! by 桃太郎🍑」って思いがあったかもしれない。
でももう一つ理由があるんじゃないかと思う。
宗派にもよるけど、仏教では団子を供えるのは供養の気持ち。
なので、ひょっとしたら宮沢賢治さんなりの、娯楽で殺生された動物達への供養の気持ちだったんじゃないかと思うんですよ。
実は宮沢さんが、心の中で動物達にお供えした団子のお下がり、のつもりだったとしたら…、
物語のどっかでその団子を出したくて、ようやくここで出したなら…、
なんて優しくて良い人なんだろう✨
想像の範疇を出ませんが、宮沢賢治さんなら有り得そうでしょ?😊
私は、こんな感じで解釈しました。
都会人に笑顔が戻って、団子のすきとおった美味しさに気づいて欲しかったな…
「たべる」「食べる」「喰べる」
物語では「食べる」という字が、《たべる》《食べる》《喰べる》の3種類でてくるんですね。気付きました?
多分、食べる目的によって、文字を使い分けているんですよ。
文脈から考えると、多分下記だと思います。
宮沢賢治さんのちょっとした拘りじゃないですかね😊
たべる
空腹を満たす。本能強め。
食べ物を摂取する(体内に取り入れる、取り込む)ことを優先したニュアンスで使っていると思う。
※『序』の《たべる》については『注文の多い料理店/宮沢賢治』のシリーズ第一回の記事で考察しております。
喰べる
口に入れて味わいたい。煩悩強め。
例えばグルメ、高級、贅沢とか、エゴや皮相を満足させてくれる価値が付加されたものを食べたい感じ。
日本語には《喰う》は有るが、《喰べる》は無いので、宮沢賢治さんの造語みたいなもんだろう。
食べる
生命を頂く。
食べるとは、他の生物を犠牲にしてその生命を頂くことだと理解している場合に使っている思う。
『注文の多い料理店』の記事は、こちらでも紹介しています。