『注文の多い料理店』は、日本の国民的作家、宮沢賢治さんによる児童文学です。東京から猟に来た二人の紳士が、危うく山猫に騙されて食べられそうになる物語。小学校の国語の教科書にも載っている名作。
『注文の多い料理店』書籍情報
タイトル:注文の多い料理店
作 者:宮沢賢治(みやざわけんじ)
正字は宮澤賢治。詩人、童話作家、教師、科学者、宗教家など。岩手県出身。1896年〜1933年。
37歳の若さで病没。生涯で多くの短歌や詩、童話などの作品を遺しているが、生前に刊行された著書は2冊だけだった。現在は日本だけでなく、海外でも読まれている。
『注文の多い料理店』は、1924年(大正13年)に出版。半ば自主出版のような形で1000部程作られたが、当時はほとんど売れなかった。
簡単なあらすじ
動物の命を軽んじている者達が、動物の立場に逆転し、ひどい目にあう物語。
読書難易度:
児童文学なので文章は平易ですし、ストーリーも簡単です。でも深読みすると、読者層は大人でもいけそうな印象でしたよ。
感想・レビュー
久々の再読。
宮沢賢治さんと言えば、永遠の名作揃いですから、きっと年令に関係なくファンは多いでしょう。私もその一人だ。宮沢さんの作品は、児童文学であっても、その枠に収まるものではないと思うのよね。
大人向けでも良さげな本じゃないかな?😂
【POINT1】宮沢賢治さんの背景
センスオブワンダーを有し、宗教や政治の影響を受けている清貧推しのベジタリアンって感じの人だと思う。特に仏教は、宮沢賢治さんのアイデンティティのベースになっていたんじゃないでしょうか。
仏教開祖・釈迦は『スッタニパータ』の『慈しみの章』で、いかなる生物生類であっても〜云々とか、一切の生きとし生けるものは、幸せであれとか語っている。
また『小なる章』では、肉食がなまぐさいのではなくて、欲っするままに生き物を殺して〜云々、生き物に対して驕って求めて〜云々と語っている。その影響を受けていたんじゃないでしょうか?(法華経からのアプローチはごめんなすって)
宮沢賢治さん自身は、山で鉱物採集したり星座に興味もったりしていたそうですし、農林学校通ったり農業指導されたりと、なんだかんだで農業にも関わっていた。
人生の中で、大地に根を張り、自然と共に生きて生かされていることの尊さを知る機会があったんですね。
【POINT2】透き通った本当の食べ物『序』の心
『イーハトーヴ童話集 注文の多い料理店』には『序』が収録されているんですが、私これが大好きなんですよ。短い文章ですけど、めっちゃ素敵✨
自然を愛し、慈しむ心を大切にしたかったであろう宮沢賢治さんの心に触れたような気がする。
とても感受性の強い方で、何らかのインスピレーションを得て書いていたようだけど、その心がベースにあってのインスピレーションなのだろうと思う。
多分、宮沢賢治さんは、本質を見抜く心の目を養い、穢れなき真の智慧を心の栄養にしてくださいね。って伝えたいのでしょう。それが「すきとおったほんとうのたべもの」じゃないかな。
ただし物語には、伝えたいことは書いてあるけれど、そのものズバリを書いているわけではない。
敢えてそのへんを軽くぼかして伝えている、かと言って読者に解釈を丸っと委ねるタイプの作品でもない。
読者が自由に解釈すれば良いけども、どんなルートであっても宮沢さんの伝えたいこと、というゴールへと読者が辿り着けるように、沢山のメタファーを散りばめて道案内している感じですね。
宮沢賢治さんは、根っこがとっても真面目で温かいんだろうと思う。
【POINT3】物語に盛り込まれた社会風刺と批判と皮肉
まぁー、てんこ盛りだったよ。
宮沢賢治さんは、世の中に対して憤りを溜め込んでいらっしゃったんでしょうか?😅
- 財力と武力で世界を植民地だらけにして支配・搾取していた大英帝国と、そんな国と同盟関係にあった日本への批判と皮肉。
- そんな英国人のマネごとをして見栄を張る富裕層への皮肉と風刺。
- 独占資本主義によって、都市部と農村部の経済格差が広がってしまった日本への批判と皮肉。
- 地位や財産を鼻にかけて、金銭でしか価値の図れない心が貧しい富裕層への皮肉と風刺。
- 権威のラベルで簡単に騙されて信じてしまう、曇った目を持つ権威主義者達への皮肉と風刺。
- 浅はかな知識や理屈を捏ね回してインテリぶっている者達への皮肉と風刺。
- 生態系の頂点にあると思って有頂天になっている人間の傲慢さと、自然を蹂躙する者達や、動物の命を軽んじている心無き者達への批判と皮肉。
などなど。
こういった人間の愚かさや卑しさのメタファーが主人公の二人。夏目漱石さん風に表現するなら「皮相上滑りで開花したお二人」ですな。
そして「奢れる者は久しからずやぁ〜。これ因果応報なり」という主旨の教訓。
その先にある宮沢賢治さんの願いは
人間の幸福とは?人間と自然が本当に幸福に共生するには?について一人ひとりが考えて、豊かな心を育んで欲しい。じゃないでしょうか?
敢えて欲を言えば
宮沢賢治さんはかなり信心深い方だったようですし、仏教思想のカルマや因果応報にかなり影響を受けているんでしょう。その信仰の自由は尊重したいので、信仰自体は良いとも悪いとも言いません。
ただ脅し的な教訓というか、因果応報的なのはちょっと行き過ぎかな。二人が引き籠もりになって、生涯PTSDに苦しむ未来しか見えてこないよ💧
ブラックユーモアにしても、ちょっと笑えない、かなぁ。
君はなんのために、あの美しい『序』を書いたの?
「すきとおったほんとうのたべもの」を好まない者を懲らしめたいから?
その心は透き通っていると思うかい?
って質問したくなった。
つまり…
都会人にも《菩薩の心》を向けて欲しかった…
だってほら『注文の多い料理店』って一応は児童文学でしょ?子供達には人を信じる心と未来を信じる心を育んで欲しいじゃない?
因果によって怖い経験をした。そこから学んだものがあった。
だからきっと自省して心を入れ替えるキッカケになった…、だろう。
そしてこれからは「すきとおったほんとうのたべもの」が好きな善き人になる…、だろう。
と予感させる未来。その程度で十分じゃないかい?と思った。その方が、『序』の言葉がもっと生きてきたんじゃないかなぁ😊
マトモな宗教の教えというのは、生きている人の心を平安に導いてナンボ。それが根幹のはずなんだよね。
それに大人なら「この世には、因果は有れど応報は無い。応報を信じたい心が在るだけだ」と経験的 or 無意識に気付いているんじゃないかなぁ。宮沢さんもね。
私は宗教に縋る人ではないし、調べたことも無いが…
悪事を為した者の未来に不幸が訪れるって意味で使う場合の《応報》ってのは、「被害を被って苦しむ人が、少しでも心の苦から解放されますように」と願った坊さんが発案したんじゃないかねぇ。
所謂、優しい嘘や方便や知恵の類いってやつ。
少なくとも《応報》は、「ザマミロ」と貶めたり「悪者には仏罰が下れ」と呪うための文言ではないし、人が人を断罪して罰するためのものでもないし、信者を恐怖で従わせるためのものでもなかったと思うのよ。
ま、悪を為し、罪を犯すのが人間ならば、裁きと罰という応報を求めるのも人間なので、宮沢さんの気持ちも分からなくもないんだけどね😊
まとめ
今回は宮沢賢治さんの児童文学『注文の多い料理店』のレビューでした。
日本には宮沢賢治さんよりもっと高く評価されている作家さんがいらっしゃる。例えば幸田露伴さんとか夏目漱石さんとか。ノーベル文学賞を受賞された日本人とか。
なので宮沢賢治さんは、文豪とは呼ぶには微妙なポジションなのかもしれない。けれど作品から伝わってくる心を読むと、なかなかどうして👍
素晴らしい作家だ。
抽象的な表現ですけど、物語自体は作者の声が大き過ぎて(悪い意味ではない)「読者を物語の世界へ連れて行ってくれる作品か?」と聞かれると、私にはちょっと微妙かもって印象だった。
でもとても興味深い物語でしたよ。何より『イーハトーヴ童話集 注文の多い料理店』の『序』が惚れ惚れするほど尊い✨言葉の芸術・美学と言えるんじゃないだろうか✨これだけでも読む価値は十分有る。
子供は子供なりに、大人は大人なりに年齢問わず考えさせられる名作だと思う。
追伸
『イーハトーヴ童話集』は、今回再読するまで『イートハーブ(eat=食べる + herbs=薬草、香草)童話集』だと思い込んでいた。
だってほら、宮沢さんベジタリアンだったから(笑)。私てっきり「おまえらも草食系になろうぜ!」的なメッセージが込められた造語かと…😆
『注文の多い料理店』の記事は、全三回シリーズになっております。第二回と第三回の記事については、自分なりに深読み・解釈したものを、備忘録を兼ねて記事にしています。
これが正しいというわけではないです。こんな解釈をする読者もいる、という程度に考えてもらえればありがたいです😊
『注文の多い料理店』の記事は、こちらでも紹介しています。