【第二回・深読み】注文の多い料理店/宮沢賢治|象徴を読み解く の続きです。物語の解釈は人それぞれ。こんな風に読み解いた読者もいるんだな、程度に思ってくださるとありがたいです。
白熊のような犬のモデルは?
『注文の多い料理店』に登場する犬は、自然破壊されても、人間を生かそうとしてくれる自然。そのメタファーですね。
主人公の二人は、死んでしまった自分達の犬を見ても悲しむどころか、高額自慢臭い金銭的損害を口にするだけで、愛情の欠片も無い。
犬達は、見栄を張るための道具だったわけですな。とことんクズだ。
しかしたとえ粗末にされても、人間を愛し、飼い主に一途に従い、守ってくれる健気な犬と、犬にも劣る人間達への皮肉が描かれていた。
さて、白熊のような犬と形容するからには、かなり大きめの中型犬〜大型犬、白、モフモフ、コロコロの犬のことですよね。
しかし宮沢賢治さんが生きていた時代に、白熊風の純和犬は存在しなかった。現在の秋田犬もまだ存在しない。だが日本には純和犬以外なら白熊っぽい犬がいた。それは…
1.樺太犬
ソリ犬。暑さに弱過ぎるので、東京での飼育は無理。
2.サモエド
ソリ犬。希少。ネットもテレビも無い時代ですし、飼い主でさえサモエドと思いこんで、スピッツ(小さめの中型犬)やその雑種を飼っていたケースが多かったそうですし、宮沢さんがサモエドを知っていた可能性は低いと思う。
3.新秋田
闘犬。当時作出された洋風秋田犬。この犬なら宮沢さんはよく知っていたハズ。樺太犬の血統が入ったタイプなら白いモフモフは有り得る。現代の秋田犬で稀に長毛種が生まれるのは、先祖返り(樺太犬系新秋田)が原因。
なお、グレートピレニーズは、日本に紹介されたのが昭和の後期なので、宮沢賢治さんは名前すら知らなかったハズ。
それにしても物語での犬のお値段:2400円と2800円。高っ!どれもお値段的に合わない気がするんだなぁ。
ちなみに当時は、高額犬のセントバーナード(輸入)で1300円くらい。新秋田の最高額(強い闘犬)が800円くらいだったそうだ。
『注文の多い料理店』の二人は見栄っ張りなので、犬の購入価格を豪快に盛ったとか、カモにされてぼったくられたとか(笑)
そう仮定するなら、きっと新秋田だと思う。
【理由】当時の犬事情
社会風刺と批判と皮肉がてんこ盛りの物語なので、犬についてもそうだろうという前提で考察してみました。
犬種の保存に関心が無くて、純粋な和犬が激減していった明治~昭和初期。
東北のマタギ(猟師)が飼っていた狩猟犬の定番は、地元の純和犬のマタギ犬。現在の秋田犬の先祖である中型犬だ。
しかし純和犬のマタギ犬はみるみる激減し、絶滅寸前になる。
理由は闘犬。
特に秋田県は闘犬が盛んで、闘犬禁止になってもアンダーグラウンドでやっていたという。隣県もやっていたそうだ(現在はどうだか知らないけどね)。
しかし地犬のマタギ犬では、高知県の土佐闘犬に勝てなかった。
そこで地犬のマタギ犬を、土佐闘犬や樺太犬、グレートデンやシェパードなどの大型洋犬と交配させて新秋田と称する洋風大型犬を作出し、みるみる新秋田が増えた。
岩手県にいた宮沢賢治さんは、当時のそんな状況を目にしていただろう。
- 人間の闘争心を仮託させた犬を闘わせて喜ぶ人間達。
- 闘わせるために、本来のマタギ犬の姿を奪った人間達。
- 闘わなきゃストレスが溜まる性質の犬に変えてしまった人間達。
- 口を縛られ咬ませ犬にされた犬もいたに違いない。
…うん、寒気がするほどの悪趣味だな💧
闘犬にさせられた犬達は、格闘家のように自分の意志で闘う者に成ったわけじゃない。きっと宮沢賢治さんも、闘犬には嫌悪しか感じたなかったと思うんだ。
しかし地元や隣県の文化や伝統でもあるし、判り易い皮肉や風刺などは大変書き難いでしょう。
ひょっとしたら、白熊という表現にそんな想いが潜んでいたんじゃないだろうか、と思う。
そう仮定して考察を続けます。
ニワカ猟師の都会人には狩猟犬と闘犬の区別がつかなくて、白くてモフモフした樺太犬系の闘犬・新秋田を連れてきた。ただし家庭犬化してコロコロという設定ではないだろうか?
宮沢賢治さん的には、人間のエゴで熊みたいに大型化&洋犬化させられ、もはや東北の地犬とは呼べぬ姿であると感じ、皮肉を込めて白熊と表現したのではないかな。
「熊みたいにコロコロじゃ狩猟犬にならねぇよ😆」って皮肉もあったかもね(笑)。犬に罪はないけどね。
コロコロ肥えた日本人なのに、大英帝国の兵隊さんのコスプレしているニワカ猟師。
コロコロ肥えた洋犬もどきの闘犬なのに、ニワカ猟犬の新秋田。
お似合いでしょう?犬に罪はないけどね(二度目)。
だが東北のマタギ犬と闘犬の気質を有する新秋田ゆえに、ご主人様のピンチを察して一気にテンションMAXになった。
そしてなんの躊躇もなく幻想世界を強行突破し、人が押してもビクともしない扉をぶち破り、勇猛果敢に化け山猫に襲いかかり、飼い主を助けた。という設定じゃないでしょうか?
ウチにいた秋田犬
私の家では昔、黒い秋田犬♂を飼っていた。優しくて甘えん坊でお利口さん。可愛いカワイイ黒熊ちゃん(短毛ですが)のような家庭犬だった。
でももしも『注文の多い料理店』のように飼い主の危機的シチュエーションを察知したら、同じようにブチキレて猛獣のような勢いで突撃すると思う。
土佐犬ほどではないと思うけど、一歩間違うと猛犬注意になるタイプ。秋田犬ってそういう気質なんでしょうね、きっと。
シェパードとか忠実系の洋犬ほどキビキビと指示に従いやすい犬種でもないが、人の心の動きにかなり敏感。そして飼い主に一途で、いざとなれば勇敢。
あとウチにいたの子の個性だったのかもしれんが、小さくて弱い存在にはお節介なほど優しかった。
懐かしいな…、逢いたいな…
最高に素敵な和犬だったよ、秋田犬👍✨
あとがき
日本人は遠い昔より、
大地に根を張って、自然と共に生きてきた。
青葉若葉、朝夕の日の光、山の風、空の虹、月明かり
生まれては消えてゆく生命の営み
無常の中にある永遠…
自然が奏でる調べの世界に身を置いている感覚ってやつは、情緒的でなければ感受も理解もできないものだ。
けど、それを放棄して、
人は何者になれるというのだろう?
『注文の多い料理店』で、物語と共に描かれた皮肉や批判の数々。
ナチュラルなもの、慎ましやかなものを好んでいたであろう宮沢賢治さん。
時代の流れは止められず、自然も、国も、人間も、生物も、みんなどこかで大切な何かを失いながら変わってゆく姿を、彼ははどんな想いで見つめていたのだろうか?
そんなことを思ったよ。とても良い作品だった👍
『注文の多い料理店』の記事は、こちらでも紹介しています。