『イワンのばか』は、ロシアの文豪レフ・ニコラーエヴィッチ・トルストイが、ロシアの民話や伝説などを手掛かりに創作した児童文学作品。強欲な兄や悪魔に負けずにひょうひょうと生きるイワンの物語。
『イワンのばか』書籍情報
タイトル:イワンのばか
作 者:レフ・ニコラーエヴィッチ・トルストイ
ロシアの小説家、思想家。1828〜1910年。
ドストエフスキー、ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。
簡単なあらすじ
主人公は地道に働くことしか知らないばかなイワン。そこにクズな兄弟と悪魔達が登場してはた迷惑なことをする。でも最後にばかが勝つ💪ってお話。
読書難易度:
民話風の物語なのでストーリーはシンプルで、言葉使いも易しい。大人ならサクサク読めますよ。
感想・レビュー・考察
『イワンのばか』は、140年以上前の作品ですね。さすが世界的文豪、凄いロングセラーですね。
さて、トルストイさんといえば『アンナ・カレーニナ』とか有名ですが、長編なので読書慣れしていないとちょっと手が出しにくいですよね。
でも『イワンのばか』は短編の児童文学。すぐ読み終わっちゃう👍
なお、前もって言っておきます。私的にはトルストイさんって少々偏った思想をお持ちの方って印象なんですよ。故に共感しにくい部分もある。
でも決してアンチではないし、道徳や啓発的部分を否定したいわけでもないですよ、念のため。
【POINT1】トルストイさんの理想世界
ピュアピュアなお子様なら、日々真面目に働き、他者には親切であれと教えてくれる本だと、素直に読めるんじゃないでしょうか。
だがしかし、人間は綺麗事だけじゃ生きていけないことを経験的に知ってしまったオトナの私には…😅
ぶっちゃけると、なんだかトルストイさんは、この物語の中にプロパガンダを練り込んでいる感じがするんだなぁ。これ、読者ターゲットはお子様でしょうに。なんだかなー😅
恐らく練り込んだものは
共産主義思想 + 原始キリスト教 = トルストイさんの理想
幼いうちから真っ平に踏みならされて、標準化された民衆が慎ましく暮らしている。
平和で、高尚で、退屈な世界。
その世界の理想的な民のモデルとなる人物像がイワン。
お金にも地位にも執着せず、無欲にも関わらず強制労働者の如く働き、具合が悪くてもひたすら働き続ける。
見下されても、イジワルされても、搾取されても、疑問も不満も実感さえも生じない。
従順で、鈍感で、貧しくて、ばかな農民。
でも実はそれこそが素晴らしいのだ✨
イワンは、ばかではなく純朴で愚直なのだ。
民はかくあるべきなのだ。
トルストイさんは、そんな風に思っていたのかな?いかにも裕福層出身の意識高い系って感じだなー(笑)。
でも無欲な民とは、視点を変えれば夢や希望が無い民なんだよ。民には夢も希望も知性も不要とか、民は機械的に働くだけの生涯で良いとか、考えていたのかどうかは知る由もないけど。
そんな民の世界は発展しないだろうよ。
内側から見れば、時が止まった高尚な世界。
外側から見れば、時とともに綻び朽ちてゆく結界。
かもしれないね。
ほんと失礼だけど、もう少し個の心をリスペクトする気持ちが有ったら良かったのにね、と思った。
確かリアルでは嫁を蔑ろにしてでも、人民のために著作権を放棄したんじゃなかったっけ?一見すると人格者っぽく見えそうだけど。
その著作権料絡みで潤う宗教団体はチヤホヤしてくれるだろうが、逆に嫁は世間から貶されることになる。嫁だけが、泣きっ面に蜂だ。
余談だけどトルストイさんは、嫁の容姿を貶していた。また彼は最後、家出中に具合が悪くなるんだけど、駆けつけてくれた嫁を面会拒否して亡くなった。
自分の思想に賛同してくれない嫁に、よほど憤りや不満を溜め込んでいたのかもしれない。けど、死後に一番お世話になるのが嫁なのに、最後まで許す心も詫びる心も無かったわけだ。
遺体を前にした嫁は謝罪していたそうだ。可哀想に。トルストイさんが頑固一徹に貫いた思想の犠牲者なのにね。
最も身近な嫁(家族)を大事にできないような者が、誰を大事にできると思ったのだろう。
トルストイさんが、どんな理解でキリスト教に深く傾倒し、プロパガンダ的な物語を執筆したのかは知らない。けどそうやって人を先導しようとする者の生き方としてはどうなんだろう?
私は、イエスだって、母マリアとマグダラのマリアを大事にしていたんじゃないかな、と思うんだ。
多分イエスは、自分の傍らに置き続けた彼女達の心を蔑ろにすることなく、ちゃんと愛を注ぎ、信念を語り、理解を促してきた。だから彼女達は、先に旅立つイエスを静かに見送ったんじゃないかな。
そんな経緯があって彼女達もまた、人々から崇められる対象へと昇華されていったんじゃないかと思う。
私はキリスト教信者ではない。新約聖書を、ただの読み物としてサクッと目を通して察しただけですが。
少し話が逸れてしまったかな?
私は、イワンがばか or 愚直なのか、トルストイさんの理想世界がユートピア or ディストピアなのか、といったジャッジはしないけど。
ま、何事もバランスって大切なりよ😊
【POINT2】イワンの愛
イワンは、自己愛と利他愛の両方を持っているキャラだと思う。
大抵の人なら、尽くしまくったのに、相手から相応かそれ以上の感謝の気持ちや態度やモノが返ってこないと、腹立たしい気持ちになる。
或いは、腰痛になるほど道端でゴミ拾いしまくるなど、自発的な社会奉仕をしても、誰からも認識されなくて、何の評価も賞賛も得られないと寂しい気持ちになる。
なんなら「自分は◯◯してあげたのに」と恩着せがましい自己申告や、褒めろと言わんばかりの自己宣伝をしたくなるのが人情ってもんだ(笑)
日本は仏教が浸透しているので、信心深い人なら陰徳を積むことで徳高き者になれるという自己実現や、死後の幸せを信じて何も言わない人もいるかもしれないけどね。
しかし実は、どれも現在の己の幸福感が満たされていないからなんだよ、多分。
相応かそれ以上の見返りがなければ、幸福感が得られないのならば、それは自己愛の塊であり、そこに利他愛は無いんじゃない?
もし見返りが無くとも不満が生じない、それどころか幸福感さえ得られるというなら、自己愛も利他愛もある。それがイワンでしょう。
なかなかできることじゃないけど、十分納得できるし素晴らしい✨と思う。
欲を言えば、他にも大切なことが
でもね、人間関係を円滑にしようと思ったら、子供だろうが大人だろうが、やっぱりギブ・アンド・テイクと感謝の気持を学ぶことも大切だと思うんだ。『イワンのばか』にそこを盛り込んでも良かったんじゃないかと思う。
ほら、イエスといえば♡愛♡に注目されがちだけど、犠牲に対する感謝の気持ちを、己の命を犠牲✞にすることで人々に気付かせた側面もあるじゃない?
イワンは聖人か?
イワンに自己愛と利他愛の両方有ったとしても、イワンは聖人とは呼べないのではないかと思う。理由は
- 人間の本質を知らずに、人間を愛する者は、世間知らず。
- 人間の本質はそれなりに知りながらも、特定の人間だけ愛する者は、凡人。
- 人間の本質をそれなりに知って、人間嫌いになるのも凡人。
- 人間の本質を識り、それでも人間を博愛する者は、聖人。
だと私は思っているので。
イワンは1に該当するでしょう?
ちなみに1って人間の理想像にはなりにくいんじゃない?最も都合の良い民には成り得るけども。ちなみに4のような賢過ぎる者は、共産主義にとっては都合が悪いかもね。知らないけど。
まとめ
今回は世界的文豪・トルストイさんの児童文学作品『イワンのばか』のレビューでした。
児童文学とはいえ、子供から大人まで読める万人向けの名作ですし、大人でも色々考えさせられる物語でした。
ロシア文学というと、日本では多分ドストエフスキーさんが1番人気でしょう。このブログでも『地下室の手記』の感想と考察を記事にしたけども、私もドストさんは素晴らしい✨と思う。でもトルストイさんもなかなか良いですよね。
褒め言葉が少なめの記事になっちゃったけど、実に興味深い作品ではあったんだ😅
『イワンのばか』の記事は、こちらでも紹介しています。