『ウォールデン 森の生活』は、著者のヘンリー・D・ソローさんが、森の中で自給自足生活をした記録を綴ったノンフィクション。ミニマリストの古典的著書として、世界中の人々に読み継がれているロングセラーです。
『ウォールデン 森の生活』書籍情報
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タイトル:ウォールデン 森の生活
作 者:ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)
アメリカの作家・思想家・詩人・博物学者。アメリカ出身。1817年〜1862年
肺結核により44歳で死去。アメリカ文学と哲学の最も重要な人物の1人とされている。
簡単な内容紹介
ヘンリー・D・ソローさんが1845年から2年2ヶ月の間、マサチューセッツ州のウォールデン湖畔の自作小屋で自給自足生活した記録。
読書難易度:
さほど難しくはないですが、思想的ですし、引用文と比喩的な表現が大変多いので、人によっては取っつきにくいと感じるかもしれません。
感想・レビュー
通称”ほっこりすと“と呼ばれる、LoHas(ロハス)という名称の語源は、この本に書かれている言葉だそうだ。
Lifestyle of Health and Sustainability
引用:ウォールデン 森の生活(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)
直訳すると「健康的で持続可能なライフスタイル」といったところかな。ミニマリストだけでなく、ナチュラリストやアウトドア派に愛読者が多い、バイブル的な本だそうです。
【POINT1】思想寄り
森🌲で野外生活とか、森🌲でサバイバルといったワイルドな本ではありません。町からちょっと離れた森で隠居生活してみましたよ😋って感じですね。
孤独と向き合い、それでも心豊かに過ごすための本でもないね。この方は孤独を見つめていない。
強いて言うならアウトドアの達人・CW ニコルさん風味な本って感じかなぁ。でもニコルさんは、失われつつある自然についてや自然との共生を考えるナチュラリスト系ですが、ヘンリー・D・ソローさんは思想寄りでした。
【POINT2】晴耕雨読
勿論、ソローさんが、森の中で晴耕雨読な暮らしを体験してみたことで、自己の内面と向き合い、物質的な富や名声以上に大切な何かを再認識 or 自分の思想に確信が持てたなら、有意義な経験ができて良かったね😊とは思う。
自分語りですが
私は経済や文明を否定するような暮らしなんてしたことがないが、それなりに自然が近くにある地域には住んでいる。切なくなっちゃうほどのド田舎とも言う(笑)
例えばウチの町内(集落?村?)には、信号が無い、公共交通機関も無い、店も無い。自販機なら2台だけ有る😅 ちなみにコンビニは山の向こう側。
なので近所を歩いていると、たまに山の動物に出会うことがある。
例えば数年前のある日の夕方、ウォーキング中に強烈な獣臭が漂ってきた。
「…すぐ近くに熊がいる😱」
と悟って凍りついた。その緊張感よ。熊さん🐻の姿は見えなかったが、おそらく道路脇の林の中の、鬱蒼とした笹の茂みからこちらを見ていたんじゃないかな。
向かって来たらどうしよう😱とか考えちゃって、生きた心地がしなかった。
そういえば昨年の春は、庭にスズメバチが巣を作っていたので撤去😱 夏には玄関開けたらマムシ🐍がいてガクブルになった😱 あと、豪雪になると2mを超える雪が降る⛄日本の自然もなかなか厳しいね。
とはいえ田舎だけでなく、都会で暮らしたこともあるし、欧米や東南アジアで暮らしたこともあるんだな。
ウォールデン湖のあるアメリカ・マサチューセッツ州コンコードから車で5〜6時間位の、カナダ・ケベック州モントリオールに留学していたこともある。
その経験から、何処に住もうと有意義な生活ができるかどうかは自分次第だと思っているので、『ウォールデン 森の生活』の暮らし自体には全く憧れを感じなかった。
というか、ハイキングや鉱物採集、キャンプやバーベキューをするために森へ行くなら楽しいよね👍って思うけど、さすがに森の中には定住したくない。
やっぱり人間が殆ど関与していない大自然エリアって、現代人にとっては安住の地にはなりにくい環境だと思うのよ。
晴耕雨読な暮らしをするにしても、大自然じゃなくて、程々の自然が残っている場所がちょうど良いんじゃない?
あえて欲を言えば
良書なんだけど、ちょっと残念に思ったことを書いておこうか。
あなたの心はどこにある?
まず「借り物の言葉が多い人だなぁ😂」って印象でした。引用も悪くないけど、読者としては、もう少し自分の言葉で語って欲しかった。ソローさんならできるはずだ。
あと森の中で暮らしているのだけれど、情緒や感性といったものが森の中に向けられていない印象だったね。
せっかく森の中で素朴に暮らしているのに、本当の興味の対象がそこにないのはもったいない。
森の中で、文明社会のことを思い出してはあーだこーだと批判的なことを言っているが、気になるのは囚われて抜け出せない証拠。人は、自分の見たいものしか見ないから。
本人は気付いていなかったかもしれないけれど、森に住んでいても、古い神話を引っ張り出しても、心は文明社会の《価値》の中。その中で不満を抱える人だったのだろう。
環境保護運動の先駆者とも評されているけれど、その立ち位置も文明社会の《価値》の中だと思う。そんな印象だった。
ま、それはそれで構わないんだけどね😊
でもヘンリー・D・ソローさんといえば、政府に懐疑的な個人主義者「市民的不服従」の始まりの人。トルストイさん、ガンジーさん、キング牧師らに影響を与えた人でもある。
そんな「市民的不服従」の煽動的な思想家が、森の中の自然に目を向け、心を寄せて大切な何かに気付く感じのドラマチックな本だろう、と勝手に期待して手にしたので、ちょっと残念に思っちゃったんですよね。
補足
私の言う「自然に目を向け、心を寄せる」について、ちょっと補足しておこうかな。
例えば、俳聖と呼ばれる江戸時代前期の俳人・松尾芭蕉さんは、日本人なら誰でもご存知だろう。
山路来て 何やらゆかし すみれ草
引用:松尾芭蕉
その場で実際に感じた心を俳句にしたものではないとか、山と菫の組み合わせは俳句ルールに沿っていないから駄作、とか賛否両論があった句ですな。
たとえそうだとしても、春の山路をただ黙々と歩いていた時、視界の片隅で慎ましく咲いている菫の花に気付いて、その小さな菫に心を寄せた。すると無機質だった心の世界がパァッと明るくなった。
そんな出来事または類似の記憶があったんでしょう。
そういった繊細な感性や情緒的な豊かさを持っていた人だからこそ、書ける句だと思う。俳句や自然に関する知識が豊富なだけの人では、案外書けそうで書けないんじゃないかな。
私はとても素敵な句だと思う✨
マクロの山とミクロの菫。この句に限ったことじゃないけれど、松尾芭蕉さんは、この世をウロボロスの蛇のような世界観で観つめていた人だろうね。
話を戻そう
私はそういった感性や情緒的なものを、ソローさんに期待していたわけだ。
とはいえ、ソローさんにはソローさんにの良さが有るよ。知的で思想的で、とても頭の良い人だと思う。
そもそも最初から思想寄りの本だと知っていたら、ガッカリ感は無かったと思う。
まとめ
今回は余談多めになっちゃいましたが、ヘンリー・D・ソローさんの『ウォールデン 森の生活』の感想・レビューでした。
生きることは苦行ではなく遊び、という考え方には凄く共感できるものがあった。 私もそう思えるような生き方をしたいと思う。現代人の心にも響く名言が散りばめられているところも良かった。
インテリ系の方なので、引用文多めで一見小難しい印象があるかもしれないが、そのへんは読み飛ばして、気に入った箇所を読むだけでも得るものがあると思う。
ミニマリストや、自然やアウトドアが好きな人はもとより、啓発系の本がお好きな方や意識高い系の方も、心に響く言葉に出会えるんじゃないかな。
そして社会に違和感を感じて心が疲れている方には、救われた気持ちになれる言葉が見つかるかもしれない。
そんな本なので、よかったら読んでみてくださいね。
『ウォールデン森の生活』の記事は、こちらでも紹介しています。