【第一回・深読み】ガラス玉演戯/ヘッセ|愛の風光に満ちた名作の続きです。今回はクネヒトの教え子ティトーにもフォーカスして自分なりの感想を記事にしています。
感想・レビュー・考察
さて、クネヒトの意思は、ティトーに委ねられた。
ティトーには、クネヒトの因子を受け継ぐ者になった予感とプレッシャーがあっただろうね。
箱根駅伝でお馴染みの、タスキリレーを思い出した(笑)。
第一回の記事のような感じで、クネヒト寄りに見れば美談になり得るけども。クネヒトが主人公だから美談で良しだろうけど。
ティトー寄りに見れば、人生まだまだこれからの若者なのに、なんだか気の毒だなー💧と思ってしまう。
そもそもティトーは、ただ僕の凄いところを披露したかっただけでしょうに。上機嫌で、軽い気持ちで、無邪気に。
笑ってくれるか😆、褒めてくれるだけ👏で満足だったでしょうに。
ところがクネヒトは、いい大人なのに軽率な行動をして、少年の目の前で溺死。
そのきっかけを作ったティトーは、罪悪感と後悔と責任感を感じて生きていくんだろう。
ショックを受け、笑顔を失い、心に傷を負い、ヘビーな十字架を背負ってしまったわけだ。
マトモな人ならばそうなるだろう、ですけどね。クネヒトの死には束縛の力があるね。
そのせいでしょうが、ヘッセさんはクネヒトの死を、ティトーに課せられた高く神聖な使命とその自覚に繋げていた。
いやぁー、予想外だった😆
あと、私は綺麗な単語を見ただけで目が眩むような、おめでたいタイプじゃなかった😆
だってコレって一見言葉は綺麗で高尚ですけど、選民意識だぁよ。そのテの自負は人を高慢にさせるんじゃないかなぁ、と思うのだが…
クネヒトか神がティトーに使命を与えた、という事実(エピソード)もありませんし。
つまりティトーは、自分は使命を与えられた特別な者だと、自分で勝手に設定しているだけなんだわ。
こーゆー場合、既に人類が出している最適解から学ぶのが、ティトーにとってもベストだろうと思うけどなー。
つまり《犠牲的愛》ゆえの死だったという認識なら、その《犠牲》になった生命には、謙虚に《感謝》で応える、ですね。
例えば、キリスト教はキリストの生命を《犠牲》にして、人々に《感謝》することを教えたわけだ。
ちなみに日本でも《犠牲》になった存在に《感謝》する精神ってやつを育んだ。神道由来なのか民間信仰由来なのか知らないけど、素晴らしいね。
なので、もしも
クネヒトの死に対する責任と罪悪感から、償いたい気持ちが生じて、継承者の道を歩もうという判断と意志が生じた。
そしてその道を歩む中でその苦が、いつしか《感謝の心》に昇華されていった。
というのなら、透明なガラス玉のように心が磨かれていった、と読めたんだけどなぁ…
私は、尊敬や感謝の原動力って人間的な愛に含まれると思うんですよ。無論、それが人間的な愛の全てでもないですけど。
しかし神聖だの高い使命だの、他人様の死を己の価値を高める装飾にするようでは、逆に心が濁らないか?
ティトーは、クネヒトが捧げてくれた生命から学んだ愛を継承せずして、何を継承するんだ?😊
泥臭さが無くて綺麗な話だけれど、なんだか複雑な思いに駆られてしまう物語だった。
Amazon・ガラス玉演戯(上)/ ヘルマン・ヘッセAmazon・ガラス玉演戯(下)/ ヘルマン・ヘッセ
あとがき
今回はヘルマン・ヘッセさんの名作長編小説『ガラス玉演戯』の感想でした。
この物語を好きか嫌いかと聞かれたら《沈黙》かなぁ。
私は清濁併せ持った普通の人間だ。それ故に極に偏っては生きられない。
濁った泥水は飲めないが、だからといって純水(精製水)がどんなにピュアでも綺麗でも、たとえ《✨神聖100%✨》っていう、ありがたいラベルが貼られていても、私は精製水を飲みたいとは思わない。アレ不味いんだよね(⇐飲んだんかい!😂)
なので微妙な感想になっちゃったけども。でも興味深くてちょっと考えさせられる物語でしたよ。
宗教は、キラキラした理想を見せてくれる。人はそこに惹きつけられる。特に眩い光だけを語る教えは、分かりやすくて魅力的に映るもんだ。
宗教の聖典に書き記された神話のような高尚なお話だった。
そういえばトルストイさんの童話『イワンのばか』と親和性のある物語でしたよ。自己愛と利他愛を持つ主人公と理想郷という共通点が有るので。
あちらは子供向けなので、最も伝えたいことを厳選して、簡単にサクッと語っていますね。もし、よかったらそちらも読んでみてくださいませ。ただし、これはこれで子供向けなのになぜかプロバガンダ臭が…😅
ヘッセ文学がお好きな方は勿論、思想・哲学に興味をお持ちの方、教養を深めたい方、何らかの宗教に熱心に信仰されている方にとっては、一読の価値が大いにあると思う。
そして大いに感銘できて、そこから学べるものは多いんじゃないかな。
きっと宗教真理の風光に満たされた名作として読めると思いますよ。
未読の方はぜひ手にしてみてくださいませ。
ひょっとしたら自身のベスト・ワンの本になるかもです。
なお、この『ガラス玉演戯』は、内容が難しすぎたのか、高尚過ぎたのか、和訳がアレなのか…、日本では売れ行きがイマイチだったらしく、残念ながら紙の本は現在絶版になっているようです。 なので電子書籍、図書館で借りる、中古本を購入(⇦ただし高額だと思う)するなら読めると思います。
『ガラス玉演戯』の記事は二回シリーズになっています。