心理学教授であるジュリアン・ジェインズさんの『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』は、人類の意識の起源についての壮大な仮説を提唱したロングセラー。
『神々の沈黙』書籍情報
タイトル:神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡
作 者:ジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)
心理学者、プリンストン大学心理学教授。アメリカ出身。1920〜1997年。
簡単な内容紹介
意識の発生の謎に挑み、神話・考古学・精神医学・脳医学などを分析し、人類は3000年前まで意識を持っていなかった。古代文明は、意識を持つ前の二分心の持ち主の創造物。という仮説を提唱している。
読書難易度:
分厚い本なので、読むのが大変。多少難しいところが有るが、一般人でもそれなりに理解できる本だと思う。『イリアス』『オデュッセイア』『聖書』や、古代文明等に
明るいとなお良し。
感想・レビュー
原書は1976年発表、1990年に加筆。翻訳されて出版されたのが2005年。しかし今読んでも全然古さを感じない驚異的な本なんですよ。
仮説の内容がダイナミックなので、人によっては荒唐無稽と感じるかもしれない、納得いかない部分もあるだろう。
私も「なるほど、なるほど!」と思うところも有ったけど、全て鵜呑みにするのはちょっと難しいかも…、と思った。たとえば古代エジプト・ギリシャ・メソポタミア時代の人間には意識が無かったという主張とか。
でも《心の空間》の話とか興味深かった。
ワクワクできる読み物でしたよ。
【POINT1】二分心
《二分心》とは、
人類は書記言語が発達する前、およそ3000年前くらいまでは右脳と左脳で2つの意識を持っていたという、本書でジェインズさんが提唱している仮説です。
二分心
二分心(にぶんしん、英: Bicameral Mind)は、ジュリアン・ジェインズによる人間の心の仮説である。1976年の著作『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』(英: The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind)により提唱された古代人の意識についての仮説である。
もうちょっと説明すると
- 3000年以上前の人類には意識(自己という認識)が無く、右脳が発する”神の声“に従い行動していた。これは統合失調症患者と類似している。
- その後、左脳が発達し意識が発生すると”神の声“が聞こえなくなる。
- それで“神の声(絶対者)”を求めて、宗教が盛んになった。
- 科学も、万能の絶対者を求める宗教の亜流である。
という主張でしたね。
一言でいうと、意識の誕生についての仮説。
昔々の人々の脳ミソ事情は、私には分からないのでコメントしにくいのだが、ジェインズさんは、現代人は神の声は聞こえなくなっているという。その名残りとして脳に障がいを抱える患者の幻覚や幻聴を挙げていた。
私は医者ではないので、そのへん仮説についての判断はできない。とりあえず、アニメ映画『攻殻機動隊』の「私のゴーストが囁やくのよ」というセリフを思い出した。懐かしいな、ウフフ…😂
【POINT2】知を結集した仮説
内容が仮説であれ、観念であれ、他者に伝える時に大切なWhyとHowをすっ飛ばして答えを語り、「俺が正しいのだから信じろ!」というスタンスだったならば、そっと本を閉じてブックオフへGO!だっただろう。
そういう輩の話には興味が持てないので。
しかしこの本は、意識とか二分心とか実体がないテーマに対して、あらゆるアプローチで分析し、さらに考察を積み重ねて、主張に方向性をもたせている。真摯な態度だ✨
なので読者は、作者の仮説に肉迫していけるんですね。そしてそれを始まりにして、さらに知的想像が膨らんでいく。面白かったね👍
意識について思うこと
そもそも《意識》ってなんだろうね。
備忘録としてちょっと自分の考えを書いておこうかな。
宗教・哲学・心理学・医学・科学…
《意識》って確かどの分野においても狭義でしか語れないのが現状のハズ。
例えば科学。意識が電気信号だろうが量子だろうが、《意識が存在しない》証明にはならない。
所詮人間の思考上の概念でしかないので、意識なんて仮説・想像でしか語ることができませんもんね。
例えば、もしも人工知能や人工脳が「私には意識が有る」と言い出しても、その真偽を確かめる術が無いのよね。
なので現段階では、人類は正解に到達できない。
あるいは正解に到達していたとしても、それが正解かどうか判らない。
人類は、意識についての漠然とした理解は有るけれど、結局は「正解は無い」に行き着くのだろうと思うのよ。
おそらく意識って自然発生なんだろうけど、宇宙は自分自身を材料にして形成したことは明らかだ。
さらにその材料が特定の配列をとると、精神が生じるように物理法則を成立させている。
これは、たとえ宇宙に意思が無くとも結果的には、宇宙は自分自身が物体や生物となることによって、永い時を過ごしてゆく道を選択した、と私は解釈している。
なので、生物が感じたり思考する=宇宙が感じたり思考している、とも言えるんじゃないだろうかと思っている。
そして幾万世代もかけて意識が、徐々に発達してきたのだろう。
そんなわけで、人って個体としての自分を指し示す概念に己を同化・一体化させることで、抽象的ながらも意識の束を個体に固定化できているのではないだろうか、と思っている。
ただね、脳だけで意識は生まれるのか?って疑問があるのよね、私は。
例えばプラナリア。体を切断・再生すると、脳を共有していないにも関わらず記憶を共有するそうですし。不思議ねぇ。
素人の私が語ると、段々エキセントリック過ぎる話になりそうなので、このくらいにしておこうか(笑)。
知性無き意識
ジェインズさんが、知を結集して書き上げた本書の仮説が正解かどうか判らないけれど、拍手は贈りたい👏
良かったよー!
ジェインズさんなりの《意識》の定義が、私の脳ミソで明確には把握できていなかったかもしれん(笑)。それでも好きだな。
とりあえず、古代の人は自己同一性を保っていなかった。って解釈で合っているかしら?
そして古代人の《知性無き意識》って、現代でいうところのAIみたいなものかしら?
っていう感じでした。
もし古代人の脳ミソの活動が、本当に《知性無き意識》だったならば、現実と神話の順番が逆転していたかもね(意味が分かる人は、ネジが1本抜けた大人か、先入観のない子供くらいかも)。
いやぁ、興味深いな😊
意識の始まり
ところで、ジェインズさんは人の意識の始まりを《言葉》としていたけれど、私は意識というよりも、むしろ心(自我)の始まりが《音》ではないかと私は思う。
だって人は《音》に想いを乗せて、言葉として整理して伝えているから。
人の発する《音》は感情的で情緒的で混沌としていて、《言》は理性的で想いが整理されているから。
例えば、赤ん坊は「オギャー」とか《音》を発して「私は〜」という要求や感情を伝えるが、まだ《言》としては成り立っていない。成長と共に学習して《言》を覚え、心(自我)の萌芽もスクスク育ち様々な心が生じていく。
故に始まりは《音》にあり、だと思うのよね。
人と人のコミュニケーション間では、《音》だけでもある程度察することができるのだから、人が《音》を発する行為って、整理された《言》よりも優位に伝達機能を果たしているのかもね。
まとめ
今回はジュリアン・ジェインズさんの『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』の感想でした。
この本は色んなジャンルで物議を呼んだとか。それだけ注目に値する壮大な仮説という証なんでしょう。
きっとあなたの知的好奇心を満たしてくれる一冊だと思います。
村上春樹さんや森博嗣さん、伊藤計劃さんの小説がお好きな方も楽しめそうな本でしたよ。
良かったら読んでみてくださいね。