釈迦語録のような『スッタニパータ』『ダンマパダ』『ウダーナヴァルガ』。原始仏典ですが、人生を如何に歩むべきかのヒントが沢山散りばめられています。
書籍情報
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タイトル:ブッダのことば-スッタニパータ
タイトル:ブッダの真理のことば 感興のことば
翻 訳:中村元(なかむらはじめ)
インド哲学者、仏教学者、比較思想学者。島根県出身。1912年〜1999年。
東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章など。
補足
本名はガウタマ・シッダールタ。パーリ語ではゴータマ・シッダッタ。
紀元前6〜5世紀頃にルンビニー(現在のインドとネパールの国境付近にあった小国)に生まれた仏教の開祖。
簡単な内容紹介
聖典の和訳書。原書は釈迦本人ではなく、後世の人が書き記したもの。
釈迦自身が書き記したものは一切残っていないので、釈迦の言葉にどこまで忠実なのか分かりません。 恐らく後世の人による加筆や変更や、口伝による内容の変化などはかなり多いと思われる。
読書難易度:
『ダンマパダ』『ウダーナヴァルガ』は割と簡単。初心者向け。
『スッタニパータ』は、読むだけなら仏教の知識のない方でも読めるが、深く理解するとなるとちょっと難しいところもある。
感想・レビュー
『スッタニパータ』『ダンマパダ』『ウダーナヴァルガ』は類似の本(聖典)なので、まとめてレビューします。
【POINT1】好感が持てるところ
- プロパガンダ、神意論、預言、予言、信者だけ救う、信じろ、縋れ、貢いで敬え、盲目的に従え、意に従わぬ者は罰せよ、命がけの修行をせよ、といった事が書かれていないところ。
- 悟りを、ごく一部の仏教修行者だけが到達できる稀有なもの、という権威付けや特別感アピールをしていないところ。
- 信心深さを、善き人間性の基準にしていないところ。
- 大いなる敵を設定することもなく、なるべく対立を起こしにくい教えを説いたところ。
- 自らを高みの存在と位置付けることもなく、道の人として語っているところ。
つまり道徳的な人が、道徳的なことを語っているところが良いね。
【POINT2】人間・釈迦
私の印象では、釈迦は宗教者・開祖というよりも、むしろ思想家や哲学者寄りだった道の人。
宗教組織を作りたかったわけでもなく、布教・勧誘を目的にしていたわけでもないんじゃないかなと思うんですよ。
死後に、信者達によって教えがアレンジされ、色んな宗派が誕生した。
そして釈迦は、超越的な存在・信仰対象として仏教界のカリスマ・スーパースターに祀り上げられてしまった。ってところじゃないでしょうか。
伝承通りに何らかの悟り体験をした事実があったと仮定して、その際、苦が欲由来と気付いて、その後は生も死も、モノにもコトにも執着しなくなり、シンプルな考え方にシフトした。
でもそれだけじゃなく、菩提樹の下で自然を観察して循環思想寄りになったんでない?
それで正しい認識を促す方向に舵を取ったんじゃないかなぁ。
《あるがまま》に通じるでしょ?
ほら、あの世や霊魂など観念上の話って、全て推測と空想でしかなく、語ったところで仮定に過ぎないから意義が薄いでしょ?
例えば過去の記憶由来の感情とか、未来への不安や期待や予想とかもそう。実は現在の思惟でしかないし。
それを語ったところで《あるがまま》に見れば、ここには今しかない。現実しかないよね。
【POINT3】誰の言葉?
私は、実は宗教に縋りたいわけではなくて、ただ歴史上の人物・釈迦に多少の興味があって本書を読んだので、その視点からコレを書いているわけですが…
インドの歴史的背景と、事実に近い(かもしれない)と思われる人間・釈迦のエピソードやバックグラウンドにフォーカスすると、釈迦のスタンスくらいは察するものがある。
すると本書から、これは釈迦の主義に反するんじゃない?といった部分が見えてくる気がするんだよね。
アーリア人とインド
年代には諸説あるようですが、インダス文明滅亡後の紀元前1500〜1000年頃、アーリア人は原住地のコーカサス地方からイラン、アフガニスタンを経て、カイバル峠を越えてインドの西北、インダス川流域のパンジャーブ地方に入り、さらにガンジス川流域に広がった。
つまりインドを侵略し、インド先住民のドラヴィダ人を奴隷化していったんですね。
そのアーリア人が紀元前1000〜800年に頃作った宗教がバラモン教。
そして紀元前6〜5世紀頃に、反バラモン教の沙門やジャイナ教が登場するんですけどね。釈迦が生まれたのもその頃ですね。
ちなみに日本ですと、縄文時代もしくは弥生時代ですな。
それにしてもバラモン教を作ったアーリア人って凄いね。
- 肉体は滅んでも、永遠不滅の自分のナニカが残っていて欲しい、っていう人類のニーズに実に見事に応えている。
- 超越者や覚醒者や特殊な能力者といったステキで特別な自分像、という自己実現へのニーズにも見事に応えている。
- 人間は、それなりに納得できる理由や目的が有れば、不幸でも辛くても苦しくても悲しくても案外耐え忍べるもんなんだと気付いていたと思う。
- 人は神意論には逆らい難いことも知っていたと思う。
- 余談かもしれんが、《無限》や《無》の概念も発明しちゃった。
とんでもなく頭が良いな。
出家の最大の動機
死老病苦や悟りというよりも、先ずは当時のインド最大の苦の元になったバラモン教に挑んでみたかったんじゃないかなぁ。
なんせ釈迦は王族だから、バラモン教の教えでは出家できない。出家した事自体がバラモン教への挑戦だ。
そしてわざわざ沙門(反バラモン教宗教者)にも接触しているし。
当時のインド社会とはバラモン教による社会なんですが、本書はもとより出家後の釈迦は、人間社会(バラモン教社会)というものを全く考慮していなかったし。
バラモンの神や信者や宗教・信仰は、批判も否定もしない。しかしバラモン教由来の苦を感じるのなら、バラモン教の色眼鏡を外せば楽になるで👍って遠回しに言いたかったんじゃない?
人生の死老病苦についても、まずその色眼鏡を外さないと釈迦の言葉が入らないでしょうから。
そんなわけで
来世や、魂の輪廻転生とカルマ・システム、観念上の存在、天国地獄あの世を信仰・肯定する前提の話は後世の人の加筆じゃないかなと思う。
あと釈迦は、沙門に見切りをつけたぐらいですし、苦行推奨もしていなかったんじゃないかな。
どこぞの二番煎じをしたくて、道の人になったわけじゃないでしょうから。
あと多分、『スッタニパータ』の登場人物達の釈迦礼賛の言葉などは後世の人の創作でしょう。
量産ロボットみたいに思考も、キャラも、会話もワンパターンですし(笑)。いくらなんでも不自然過ぎる。
断言はできませんが、そういった篩にかけて残った言葉が、人間・釈迦の言葉に近いのではないかと個人的には思っている。
なお、私は信仰や啓発目的で読んだわけではなかったので篩にかけましたが…
勿論、篩にかけなくても良い事がいっぱい書かれていますので、読む価値は十分ありますよ。
まとめ
今回は、『スッタニパータ』『ダンマパダ』『ウダーナヴァルガ』の感想でした。
気候・文化・社会など色々異なる古代インドで、しかも殆ど人間社会を考慮していないスタンスで語る道の人・釈迦と、現代日本の日常生活者では噛み合わないところもある。
しかし共感できることも沢山あるし、心に響く言葉や人生のヒント、人間性を養うヒントになる言葉も沢山ありましたよ。
苦に満ちた人生をどう捉え、如何に歩むべきかを学べる本でもある。
自身が信じている宗教的に問題が無いのであれば、生きているうちに一度は読んでみて欲しいな、人生で辛いときに、ふと思い出して欲しいな、と思う本でした。
『スッタニパータ』『ダンマパダ』『ウダーナヴァルガ』関連の書籍は世の中に沢山あるけれど、私は、中村元さんの翻訳が一番分かりやすいと思う。イチオシです。