【第二回・深読み】桜の森の満開の下/坂口安吾|桜の化身と山賊の続きです。今回は鬼婆と、桜吹雪になって消えた理由を自分なりに読み解いてみました。
桜の化身か鬼婆か?
山賊の男は、背中に背負っている女が鬼婆に見えたので、恐怖に駆られて〆てしまう。
ところが鬼婆は男を襲いもせずに、というか何もせず、あっさりやられてしまった。
本当に鬼婆だったなら、迎撃するとか何か鬼婆らしい活躍など一切しないまま成仏するなんて物語的に不自然だ。
これって桜の森の非現実的な空間で、男の目には鬼婆に映っただけってことじゃないかな。
つまり本当はどこまでも見目麗しい山桜の化身だったと思うんですよね。
そう仮定して読み解いてみた。
なぜ鬼婆に見えた?
まず鬼女ではなくて、鬼婆。鬼のお婆さんですな。
例えばご長寿の猫🐱は猫又に成り、ご長寿の蝮🐍は蛟に成る、という言い伝えがあるので、この女もご長寿の山桜の樹が、山桜の化身に成ったという設定かなと思う。
桜が老齢ゆえに、幽玄の中で一時、桜が生きてきた時を映し出すかのように、男の目には婆さんに見えたんでしょう。
そういえば山桜って、園芸用の桜よりも寿命が長いそうだ。
樹齢100年を超える個体はザラで、中には樹齢1,000年を超える古桜もあるとか。老いてなお美しく咲く桜の化身。
しかし桜の花は、儚く美しいだけではない。
開花時期の桜は葉も出さずに、花だけに集中する。
その気質ゆえに、女は己の散りゆく時を察して、ありったけの生命を漲らせた。
残り僅かな時を、最後の瞬間まで萎れることも枯れることなく全力で咲き続け、潔く散るために。残された生命を燃やし尽くすかのように。散ることを恐れずに一気に咲き誇り、一気に花吹雪となる。
鬼気迫る気配を無意識に感じたとった男の目には、それが恐ろしい鬼として映ってしまったんじゃないでしょうか。
つまり老木の山桜の化身が、全力で花を咲かせようとする姿が、鬼婆に見えた。
背負っていた女が重くなったのは、最後まで全力で生きようとしていた生命、或いは意志の重さを象徴しているんじゃないでしょうか。
なぜ二人は花吹雪になって消えた?
山賊は女を愛していた。
山賊の愛は、桜の化身である女に響き、縁が結ばれ、人生を共に歩むことになった。
桜の化身にとっては、ガーデナーと植物のような関係だったとしても、より美しく咲き誇るために必要なモノをいくらでも与えてくれる貴重な男だ。本能が男を必要としていたのだろう。
女は都で暮らし続けたかったけど、男と山に戻ることにした。貪欲なくせに、またすぐに都に戻ればいいと妥協できたのは、それほどこの男と離れがたかったからでしょう。
男もまた、桜の化身の美しさに心を奪われ狂気に絡め取られ、離れられなかった。尻に敷かれても、生首と遊ぶイカれた女でも、女の狂気じみた要求にキリが無くても、得体のしれない不安を感じても、女を捨てようとは思いもしない。たとえ自分の愛が相手の容姿に向けられたものであっても、その想いは強かった。
つまり強い共依存の関係にあった。一般的な愛からはかけ離れていても、互いに相手を必要としていたし、強い絆が結ばれていたわけだ。
女の死を認識したとき、同時に彼女が鬼婆ではなかったことも認識している。最も愛する女を自分の手で〆てしまったわけだ。
頭が真っ白になり心が空っぽになったでしょう。
桜の花びらになって消えたのだから、男の魂は女無しでは生きていられなくて、生きる気力を失ってしまった。
そして断ち切ることもできぬ絆を結んでいたが故に、共に桜吹雪となって幸も不幸も無い虚空の中に散っていったんでしょう。
美と死が一つに融合したかのような狂気の中で。
現実と幻想が曖昧な空間で。
あとがき
今回は坂口安吾さんの『桜の森の満開の下』の深読みでした。
何と救われない物語なのだろうね。
しかし救われないからこそ、怪奇幻想物語と言うものは面白みを増すものだよね。
眼前に広がる圧倒的な虚無。この空虚な世界を生きていかなければならないという救いようの無い恐怖。そんな孤独の中に存在する美。きっと坂口安吾さんにとっての孤独とは“美”そのものなのだろう。
ところで「桜は人を狂わせる」というけど…、そうだろうか?
実は桜はただ咲いているだけで、日本人が勝手に狂うんじゃないかな。
日本人は桜に魅了されているし、とても愛しているから。
美、艶、妖、狂、幽玄、儚さ、潔さ、歓喜、祝、生死、男女、侘び寂び、時間、季節、諸行無常など、日本人が桜に色んなものの象徴として観ているのは、特別な想いを寄せている証でしょう、多分。
森の桜は花吹雪となって音もなく散っていた。女も花びらが舞うように散ってゆく。
人の亡骸から養分を吸い上げて土に還し、同時に生前の無念や孤独や苦悩といった想いまでも吸い上げて、人の想いを昇華するかのように一斉に花開く桜。
葉も出さずに花を咲かせることだけに全力を注ぐ桜。
かつては血のかよっていた人の命の、僅かな名残りを思わせる淡く薄い桃色の花。
潔く花吹雪となって散りゆく儚い花。
人の想いの欠片だった花びらもやがて土へと還ってゆく。
苦しみから解き放たれた魂も、還るべき所へと還って逝くのだろうか …
『桜の森の満開の下』の記事は、こちらでも紹介しています。